漂流記。 ~俺はノアの中に小さな舟を浮かべた~ -2ページ目

さて、あなたならどう動きますか?

今、テレビ東京で地球環境に関する番組をやっている。


『”水の惑星”地球は本当に滅びるのか』


結論。


それは、間違いようのない事実だ。

少なくとも、このまま行けば、

地球は、貧困と飢餓、疫病、世界的な異常気象により、

崩壊するだろう。


でも、それは先進国に生きる我々に実感として

中々感じられない。


それは、遠い国の、可哀想な、でもどうすることもできないという

曖昧な結論として、人々の脳裏の隅っこに追いやられてしまう。


だが、現実は厳しい。本当に、果てしなく厳しいのだ。

これを読んでくれた皆さんは、

辺り一面が乾燥し、地面が完全に干上がり、

地割れにより、地球がひび割れている。

雨が降るのは雨季の一時期だけ。

数時間歩かないと、水を見ることもできない。


そんな現状を直接目にしたことがあるだろうか。


きっとTVや写真では見たことがあるだろう。

でも、そこからは何も息吹が伝わってこない。

写真展での写真も、気づきはあるが、険しさはない。

だが自分の目で見たとき、まず呆然とすると思う。

そして、厳然たる現実に、わけがわからなくなると思う。


なんなんだ、これは・・・!?

今目の前にあるのは現実なのだろうか・・・

いったい地球は・・・うぅ・・・


だからこそ、本質を知ってほしい。

それは、今のLOHAS的生活などとは全く違うのだと。


ただ、それを知った後、どういう行動をとるかはやはり人それぞれだ。

本当の実態を知ることは絶対必要。

だが、そこからどうするかは、やはり個々人の選択にゆだねられる。


「貧しさ=可哀想」という単純な図式は成り立たないし、先進国のエゴ。

「破滅=必然」に対する処方箋も人それぞれ。

「発展」に対する考え方も、一様には言えない。


こうしたほうが良いという個人的意見はあっても、それを強制はできない。


将来事業を起こすとするならば、間違いなく途上国を搾取することになるだろう。

どんな形であれ、本当に地球のことを考えたら、事業活動なんかできない。


だからこそ、財団によって、NPO法人設立によって、貢献することが必要だ。

この星を守りたいと思う。


少なくとも、貧困な国の子供たちに触れ、そのコトバに耳を傾けたならば、

そう感じると思う。いや、少なくとも俺はそう思った。


言えるのはそれだけだ。


クールビズ結構、LOHASも結構、ひとつのカタチとしていいことではあると思う。

ただそこに、地に足をつけた行動が伴っていれば。


これ以上の貧困や環境に関する話を展開していけば、キリがない。

ただ、現実を知り、自分なりに考え、みんなに真剣に悩んでもらい、

自分なりの答えを出した上で、行動してほしいと思う。


地球の未来を、どう捉えるか。


俺も、今日改めて考えさせられました。


俺は応援します。↓↓↓

チーム・マイナス6%-みんなで止めよう温暖化ー

本を書くこと、広めること。

本が書きたい。




いつか、自分の想いを、最大限にぶつけて、

それを多くの読者に共有してもらえる、

そんな本が書きたい。


文章はそんなにうまくないけれど、

ちゃんと書こうと思えば、そんなに下手でもないと思う。


この国を変えるためには、多くのメディアを駆使する必要がある。

Blogだけでも、HPだけでもダメ。

起業して、広告出すだけでも足りない。


現在あるメディアをすべて活用し、

限りなく多くの人の目に触れ、共感し、反響を呼ばなければダメだ。


ネタならなんでもいい。

いくらでもある。


事業に関する本でもいいし、学生に訴える社会構造の変化でもいい。

環境に関する絵本だって書ける。

5年後、10年後、20年後、50年後の将来像を

語った未来小説もありうる。

23歳の青年が描く、21世紀の本質・・・それもいい。


当然、事業を起こすに当たっての、過去の自伝は大アリだ。


馬鹿じゃねーの?


と言われるかもしれない。

それでも、そうしなければ、自分の想いが広く世代を超えて

世に伝わらないのなら、実践したいと思う。


中学生のころ、地球環境に関するポスターを描き、

自治体で金賞をとった。


それは大きなポスターになり、市町村の街中に大々的に貼り出された。

至るところに自分の描いた絵がある。


その絵の中で、地球は涙を流して泣いていた。

魚は骨だけになり、酸性雨で木は枯れ、

排気ガスで空気は汚れていた。


そして何よりも、そこに

自分の名前がある。


それは、中学生だった俺には、衝撃的だった。

でも、これは使える!と思った。


大学生時代、某有名経済雑誌に、

年金問題に関する意見を書いて出した。

それは、しばらくして、小さく小さくその雑誌に載った。

実名も載った。


ホントに小さかったけれど、それは大きな発見だった。

考えてみれば当たり前だけど、大きな収穫だった。

雑誌の力は大きい。


いま、本を書きたいと強く思う。

難しい言葉などなるべく使わず、

すべての世代に受け入れられる、そして、

みんながみんな、それぞれの立場で21世紀の

日本を、世界を、自然環境を、

深く考えられる、生き方を再考できるような、そんな本が書きたい。


日本はまだまだ捨てたモンじゃないぜ!

って若者がみんな思えるような、コトバを書店に並べたい。


他にも、本を書きたい、広めたい!!

そう思っている方いらっしゃいませんか?

響いた言葉①

私は以前、才能は一瞬のきらめきだと思っていました。

けれど今は、

   10年とか20年とか30年とか、
   同じ姿勢で同じ情熱を傾け続けられることが才能

なんだと思っています。
                        


羽生 善治
  棋士

エコ☆自然回帰☆経済

連休も終わり。

ちょっと自分の中を整理してみよう^^

Blogって予想以上に自分を振り返るきっかけくれたりするから面白い。

定期的に必要かもなぁ。。


よしっ!それじゃスタート~o(^ー^)o♪


小さい頃からの夢。


自然と共に生きたい。


いまも、俺の部屋は、自然に関する写真やモノで溢れている。


遊ぶのは、いつも自然の中だった。


森、川、海、山・・・どれも生きていることを強く感じさせてくれる

ものばかりだった。


子供心に、ずっと感じていた。

この自然を、守らなきゃいけない。


高校生のときも、環境に関わる学科に行きたいと思っていた。

将来の夢も、小さい頃からずっと自然に関わること。


小学校の頃の夢・・・植物学の博士。

中学校の頃の夢・・・同じく。


高校に入り、植物関係のバイオに関心を持った。

森林インストラクターになりたいとも思った。

老後は、樹医になろうと考えた。


でも、その後、社会構造を知るにつれ、

志望学部は政治経済へと変わっていった。


経済は普遍。環境を知るには、一定の仕組みの理解が必要。

環境を学びたいからといって、環境から入る必要はない。


社会のどれもが、「○○=経済」であるのと同様、

「環境=経済」という図式も、当然のように成り立つ。


俺は、大学を一浪し、考えた。ひたすら考えた。


次の年の春、政治経済学部に入学した。


でも、やりたいことが何か変わったわけではなかった。


大学生時代、俺はがむしゃらに動くことにした。

環境系の国際NGO団体で海外を訪れ、

植林から農業、畜産に至るまで、

アジアの実情を見て回り、実際に実践した。

某国の農業大臣と直接会談し、

意見書も提出してきた。


一人旅をし、今急速に発展するインドを中心に、

ベトナム、ミャンマーなど、アジアを放浪した。

この生ぬるい今の環境を脱し、

魂を賭けて生きる人間に会いに行ってきた。

世界の実態をこの目に焼き付けたかった。


現地でみた、成長と貧困の格差。

発展と自然環境破壊のギャップ。


ひたすら現地住民に溶け込み、

彼らの想いを聞いて回った日々。

安宿を泊まり歩き、俺はあまりの自分の小ささに愕然とした。

世界中の旅人と意見を交わし、

生き方と将来について、深く学んだ。


地底研究部に所属し、洞窟を探検した。

地球の神秘をカラダ中に染み込ませた。

地球はすごい。地底はすごい。

この星は生きているのだ、という実感。

あの、輝くばかりの鍾乳石は、まるで満点の星空のようだった。

轟音を轟かす地底湖は、『お前は本当に生きているのか?』・・・と、

何度も何度も、強く問いかけてきた。

命綱が切れたら、待つのは「死」。

その極限の状況で、自らの力とチームワークで、

達成することの感動。

それを知れたことは、大きな収穫だった。

日常の中に当然あるにも関わらず、経験できていないこと、

それがあり、尚且つそれを欲するのならば、

自分から掴み取りに行けばいいだけのことだ。

『死』というものも同じ。それを、必然的行為の中で偶然的に掴む。

それは恐れであると同時に、

『生』に対する幸福感、感動の裏返しでもある。

『死生観』は自分で掴み取るんだ、という強い意志が必要だと思う。


政治を知ることも、必要だと思った。

だから、政治家に接触した。

秘書見習い。

政治の裏舞台は、それはドロドロしたものだった。

そこには、権力と見栄と、欲望が渦巻いていた。


そして、学生時代、もうひとつ「金融」を学んだ。

国際的な資金流動、過去の日本の栄枯の裏にあったもの。

それがすべて、作られた流れであると知ったとき、

なんともいえない感覚に襲われた。


その後、俺は就職した。

もちろん、「エコ☆自然環境」とは一見無縁の世界に。

だが、やはり「環境=経済」という図式は

間違いようのない真理だった。

環境を知るのに、環境から入る必要はない。

逆に、別の分野から入り、第三者的視点で

客観視したほうが、本質はより良くわかることもある。


これからも、一生何らかしらの関わりの中で、

きっと「環境」に触れていくことになると思う。


なぜなら、先進国社会は今後間違いなく、

自然回帰へと傾いていくからだ。

途上国を無視した、その潮流は、しばらくの間

加速度的に社会全体に浸透していくことになるだろう。


ただそれが、俺の本業になるのか、副業になるのか、

はたまた第三者的触れ合いとなるのか。


それはまだわからないけれど、

生きる本質は、これからも変わらないと思う。


流れ、流され、でも大事なところでは凛として動かない。

俺の『漂流記』はまだまだずっと続いていくんだ。


前向いて生きよう。

人生はパラダイスではなく、花園なのだと、自分に言い聞かせて。

走る。何がなくとも、俺たちは・・・

夕飯を食べながら、同期がポツリと言った。


「ディズニーランド行きたいなぁ・・・」


その瞬間、俺たちの今夜の予定が決まった。


行こう!


決断は早いほうがいい。

意味なんてなくてもいい。

ただ、「行きたい!」「行こう!」


それだけで、理由を語るには十分すぎる。


その10分後、俺たちは1階のフロアに集まった。


同期4人。良い意味で馬鹿な奴ら。

でも決断力と実行力はみんな果てしない。


何の見返りも、何の収穫もないかもしれない。

それでも、やるとなったら、本気でやる。


がむしゃらに。


そんな彼らが、俺は大好きだ。


ホントは今月末の試験に向けて、今夜は勉強するはずだった。

でもそんなの、帰ってきてから朝まですればいいだけのこと。

今閃いたことに対して、それを実行しないなんて、

もはや俺たちの頭にはなかった。


そして、玄関にチャリが4台出揃った。


出発だぜ!


猛烈に走った。

大まかな道順と、月明かりで方向を修正しながら、

俺たちは走り続けた。


どれだけ走ったかわからないけど、

正直、ものすごく気持ち良かった。


23時過ぎ。

ついに到着。


夢の島。当然閉まっているけど、

俺たちは、まるで学生のころのように、

大きな声ではしゃぎ回った。


叫んだ。


「うぉぉぉぉおおおお!!!!!」


俺たちは、ここに何を求めてきたのだろう。


その後、4人でいろいろ話したことは忘れない。


最高の夜が、

想い出として、またひとつできた。


気持ちいいぜ。

岡本太郎という生き方①

最近、自分の中で、 「岡本太郎」 という人間が

バイブルと化している。


彼のすべてを肯定するわけではないし、

そっくりそのまま受け入れることはまずない。

なぜなら、彼の生き方は多くの面で「危険」だからだ。


でも、彼の生き様は、ともすると忘れてしまいそうになる

自分の情熱を呼び覚ましてくれる。


彼の著書は、そして彼の描く作品は、宝の宝庫だ。


・・・われわれはいったいどこへ行くのか。

あなたは本当に生きがいをもって、

瞬間瞬間に自分を開いて生きているかどうか。

死ぬもよし、生きるもよし。

ただし、その瞬間にベストを尽くすことだ。

現在に強烈に開くべきだ。

未練がましくある必要はないのだ。

一人ひとり、になう運命が栄光に輝くことも、

また惨めであることも、

ともに巨大なドラマとして終わるのだ。

人類全体の運命もそれと同じようにいつかは消える。

それでよいのだ。

無目的にふくらみ、輝いて、最後に爆発する。

平然と人類がこの世から去るとしたら、

それがぼくには栄光だと思える。


彼の言葉は、一見すると「刃」だ。

するどく、危なく、恐ろしい。


でも、俺の目には、彼ほど人間らしい素直な人はいないと映る。

激しく命を燃やすこと。

平凡と臆病さが渦巻く日々の中で、

彼の生き方は厳然として立ちはだかる。

本の前であっても、彼に隙は見せられない。

常識的生き方なんてくそ食らえ。

彼はまっすぐに、俺の脳裏を突き抜ける。


人は死ぬ。必ず死ぬ。時期が多少違うだけで、死亡率100%なのだ。

ならば、何を恐れることやある。


生きたいように生きるべきなんじゃないのか。


インドでの旅の途中でも、

嫌というほど見てきたじゃないか。

人が生きるとは、どういうことなのかを。


ギラギラと輝くあの眼差しの奥に

人間の本質を見たのは、ちょうど1年ほど前のことだ。


拙い英語で語り明かした、バナラシでの夜。

安宿の汚いトイレの中で、タイヤの潰れたボロいバスの中で、

みんな笑って語り合っていた。


「俺たち、生きてるんだよな」って。


今も大切に持っているお守りをくれた宿の主人は、

「私たちは信じるものは違う。でも血は同じ赤い色してるから。」

といってケラケラ笑っていた。


彼らに共通していたもの。

それは「命を賭して生きる」ということ。

今の日本人のほとんどが忘れてしまった、

生きることへの本質を彼らはもっていた。


その本質を、俺は岡本太郎の著書や作品の中に感じたのだ。

現状という微温湯につかり、前進を恐れる自分に対し、

彼は迷うことなく刃を向けてきた。

研ぎ澄まされたその矛先に、俺は決して嘘をつけない。


「生きたい」


そう強く思う。


この気持ち、当分は抑えられそうもないな・・・。

持続可能な社会のために金融ができること

以前から、ずっと興味のあったこと。


それが「環境CSR と金融」だ。


環境に対し、金融はどう関わっていけるのか。


とても参考になるHPがあったのでご紹介。


http://homepage2.nifty.com/Eco-Finance/


社会を変えるには金融が変わらなければならない。


しかし、社会のニーズがなくては金融が変わることはない。ここ最近、エコ・ファンドやSRIファンドが買われるようになったといっても、残高は日本の金融資産のうちのほんのわずかな割合でしかない。つまり社会自体に「変わろうとする自律的な意思」がまだまだ足りないということだ。


日本の社会のみならず世界で起こっている事柄を見ても、経済原理に基づく大きな潮流が変わる徴候は見られない。残念ながら流れが加速しているように思われる。未だに社会の価値観は経済成長であり、富を産み出すことにある。地球という限られた環境の中では限りない成長などあり得ないというのに。未来の社会が大規模な崩壊を回避できなくなるとわかっても、人間という生き物は臨界点まで突き進んでいくものなのかもしれない。


近い将来、世界的な食糧危機は必ず起こる。


ベトナムで、ミャンマーで、インドで・・・

人々の生活の中に潜り込んで見聞きしてきた

あの学生時代の経験は、今も自分の中で生きている。


世界は予想以上に危機に瀕している。


日本でも、今後「食・農」を中心とした人間生活に対する根本的問題が突きつけられるだろう。

そこにはもちろん「経済問題」も大きく絡んでいる。


俺は、人間社会が成長の限界点を超えるまでおそらくあと15年~25年と予想している。そのときまで生きているであろう自分がその現実から目をそらすわけには行かない。次の世代に何を残せるのか、どんな社会を引き継ぐのか、このテーマから逃げることはできない。


自分ひとりで社会全体を変えることは不可能だ。しかし、同じように問題意識を持ち、自分も何かをしなければならないのだと思う人が増えれば増えるほど、未来には希望が生まれる。このまま何もしなければ漆黒の闇の中に飲み込まれていく。しかし、ひとりがを起こせば1本のろうそくに火が灯る。たくさんのろうそくが灯るようになれば、その分だけ希望が生まれる。その希望を少しでも多く創りたい。


自然が大好き。


小さい頃からそうだった。


俺の夢は、これからも決して変わることはない。


※最後に参考になる資料を・・・『持続可能な社会に資する銀行研究会~研究報告書(2005)』

 http://www.jri.co.jp/thinktank/sohatsu/report/pdf/050729.pdf

舟は進み始めた・・・

前回の記事を書いてから、もう5ヶ月近くが経とうとしている。

あの頃は、まだ学生だった。


それから、俺は銀行マンになった。


早かった。


密度はものすごく濃かったけど、あっという間の数ヶ月だった。


振り返る間もないほど慌しい毎日だったし、精神が壊れるほど辛い時期もあった。


でも、俺のココロの幹は折れなかった。


ありがとう。  よく頑張ったね。


心から自分をそう褒めたい。


最初の関門はクリアした。


手元しか見えなかった視界が、少しずつ開けてきた。



最近、空を見上げて、やっとその青さを思い出した。


あぁ、雲が流れてる。 


たったそれだけのことに、俺は感動した。


気づいたら、身にまとうスーツは夏物に変わっていた。


もう、夏なんだなぁ・・・



休日に、自転車をこいでちょっと遠くまで行ってみた。



気持ちいい。



もっと遠くを見たい。


もっと多くを見たい。


よし。


漕ぎ出そう。



俺は自転車をゆっくりと止め、自分の中に一艘の舟をつくることにした。


まだまだ小さな舟。手漕ぎで、木製。


それはよく軋む。馬力なんかない。


でもいい。それでいいんだ。


俺は空の青さを思い出し、舟をつくった。


その事実があり、俺はそれをしっかりと自分の中に確認した。




いこう。


オールを手に取り、俺はゆっくりと・・・前に向かって漕ぎ出した・・・




みなさま、今までどうもありがとうございます。


そしてこれからも、よろしくお願い致します。

安心と焦燥の狭間にある心

本日3/10、午前中、

大学より、卒業式の案内が郵送にて届きました。

無事、卒業できることとなりました。

よかった。

ホントによかったです(^^)

別に留年が際どかったわけじゃないけど、
やっぱりホッとしました☆

両親にも報告し、「4年間ありがとう」と伝えました。

高校を卒業してから5年間、1年間の浪人を経て受かった大学生活も
もう少しで終わりです。

引越しの準備をしていると、今までのいろいろな思い出が浮かんできて、
何とも一言では言い尽くせない・・・

そんな感じです。

さて、卒業式は26日。残り2週間程度ですが、
しっかりと地面に足をつけて充実させた毎日を送りたい。

そう思います。

明日も新生活に備え、買い物に大忙しです。
こういう買い物って本当に楽しい。

新しい生活を想像しながら物を選ぶことって
こんなに幸せな気持ちになれるものなのだと、最近知りました。

日々是非精進。前を向いて大らかなる躍進。

そのための自己研磨。

新しい自分はもうすぐそこにあるんだ・・・

つい顔がほこんでしまう自分に・・・今夜も一人で・・・乾杯。

卒業できるかなぁ~

明日はついに卒業できるかどうかの通知がハガキで来る日・・・

追試とかの連絡も2月中になかったから、
きっと大丈夫だとは思うけど・・・

やっぱ来るまではわからないもんね。

明日は寮に入ってから使う自転車を探しに行こうと計画中なんだけど、
早めに帰ってきて家の中でじっと窓の外でも見てようかな。

ジーーっと。ジーーーーーっと。

バイクよ、早く来い!みたいな。

あと、最後の最後に髪の毛の色をドカーーンと変えようかも悩み中(^^;)
3年の就職活動始めるまではずっとなお兄さん(!?)だったんだけど、
就活始まってからはずっと黒いまま♪

それでも、地毛が茶色いから太陽に当たると金髪に見えることもあるんだけど・・・。

大学の友達は、社会人になったらできないし!って言って
最後に金髪のニワトリになってしまった。ギャツビーのCMみたいな感じ。
ピアスもあけて、全く別人・・・。

さてさて、ここいらで俺もドカーンとやろうかな。
残り2週間だけど(>_<)あはは。