岡本太郎という生き方① | 漂流記。 ~俺はノアの中に小さな舟を浮かべた~

岡本太郎という生き方①

最近、自分の中で、 「岡本太郎」 という人間が

バイブルと化している。


彼のすべてを肯定するわけではないし、

そっくりそのまま受け入れることはまずない。

なぜなら、彼の生き方は多くの面で「危険」だからだ。


でも、彼の生き様は、ともすると忘れてしまいそうになる

自分の情熱を呼び覚ましてくれる。


彼の著書は、そして彼の描く作品は、宝の宝庫だ。


・・・われわれはいったいどこへ行くのか。

あなたは本当に生きがいをもって、

瞬間瞬間に自分を開いて生きているかどうか。

死ぬもよし、生きるもよし。

ただし、その瞬間にベストを尽くすことだ。

現在に強烈に開くべきだ。

未練がましくある必要はないのだ。

一人ひとり、になう運命が栄光に輝くことも、

また惨めであることも、

ともに巨大なドラマとして終わるのだ。

人類全体の運命もそれと同じようにいつかは消える。

それでよいのだ。

無目的にふくらみ、輝いて、最後に爆発する。

平然と人類がこの世から去るとしたら、

それがぼくには栄光だと思える。


彼の言葉は、一見すると「刃」だ。

するどく、危なく、恐ろしい。


でも、俺の目には、彼ほど人間らしい素直な人はいないと映る。

激しく命を燃やすこと。

平凡と臆病さが渦巻く日々の中で、

彼の生き方は厳然として立ちはだかる。

本の前であっても、彼に隙は見せられない。

常識的生き方なんてくそ食らえ。

彼はまっすぐに、俺の脳裏を突き抜ける。


人は死ぬ。必ず死ぬ。時期が多少違うだけで、死亡率100%なのだ。

ならば、何を恐れることやある。


生きたいように生きるべきなんじゃないのか。


インドでの旅の途中でも、

嫌というほど見てきたじゃないか。

人が生きるとは、どういうことなのかを。


ギラギラと輝くあの眼差しの奥に

人間の本質を見たのは、ちょうど1年ほど前のことだ。


拙い英語で語り明かした、バナラシでの夜。

安宿の汚いトイレの中で、タイヤの潰れたボロいバスの中で、

みんな笑って語り合っていた。


「俺たち、生きてるんだよな」って。


今も大切に持っているお守りをくれた宿の主人は、

「私たちは信じるものは違う。でも血は同じ赤い色してるから。」

といってケラケラ笑っていた。


彼らに共通していたもの。

それは「命を賭して生きる」ということ。

今の日本人のほとんどが忘れてしまった、

生きることへの本質を彼らはもっていた。


その本質を、俺は岡本太郎の著書や作品の中に感じたのだ。

現状という微温湯につかり、前進を恐れる自分に対し、

彼は迷うことなく刃を向けてきた。

研ぎ澄まされたその矛先に、俺は決して嘘をつけない。


「生きたい」


そう強く思う。


この気持ち、当分は抑えられそうもないな・・・。