エコ☆自然回帰☆経済 | 漂流記。 ~俺はノアの中に小さな舟を浮かべた~

エコ☆自然回帰☆経済

連休も終わり。

ちょっと自分の中を整理してみよう^^

Blogって予想以上に自分を振り返るきっかけくれたりするから面白い。

定期的に必要かもなぁ。。


よしっ!それじゃスタート~o(^ー^)o♪


小さい頃からの夢。


自然と共に生きたい。


いまも、俺の部屋は、自然に関する写真やモノで溢れている。


遊ぶのは、いつも自然の中だった。


森、川、海、山・・・どれも生きていることを強く感じさせてくれる

ものばかりだった。


子供心に、ずっと感じていた。

この自然を、守らなきゃいけない。


高校生のときも、環境に関わる学科に行きたいと思っていた。

将来の夢も、小さい頃からずっと自然に関わること。


小学校の頃の夢・・・植物学の博士。

中学校の頃の夢・・・同じく。


高校に入り、植物関係のバイオに関心を持った。

森林インストラクターになりたいとも思った。

老後は、樹医になろうと考えた。


でも、その後、社会構造を知るにつれ、

志望学部は政治経済へと変わっていった。


経済は普遍。環境を知るには、一定の仕組みの理解が必要。

環境を学びたいからといって、環境から入る必要はない。


社会のどれもが、「○○=経済」であるのと同様、

「環境=経済」という図式も、当然のように成り立つ。


俺は、大学を一浪し、考えた。ひたすら考えた。


次の年の春、政治経済学部に入学した。


でも、やりたいことが何か変わったわけではなかった。


大学生時代、俺はがむしゃらに動くことにした。

環境系の国際NGO団体で海外を訪れ、

植林から農業、畜産に至るまで、

アジアの実情を見て回り、実際に実践した。

某国の農業大臣と直接会談し、

意見書も提出してきた。


一人旅をし、今急速に発展するインドを中心に、

ベトナム、ミャンマーなど、アジアを放浪した。

この生ぬるい今の環境を脱し、

魂を賭けて生きる人間に会いに行ってきた。

世界の実態をこの目に焼き付けたかった。


現地でみた、成長と貧困の格差。

発展と自然環境破壊のギャップ。


ひたすら現地住民に溶け込み、

彼らの想いを聞いて回った日々。

安宿を泊まり歩き、俺はあまりの自分の小ささに愕然とした。

世界中の旅人と意見を交わし、

生き方と将来について、深く学んだ。


地底研究部に所属し、洞窟を探検した。

地球の神秘をカラダ中に染み込ませた。

地球はすごい。地底はすごい。

この星は生きているのだ、という実感。

あの、輝くばかりの鍾乳石は、まるで満点の星空のようだった。

轟音を轟かす地底湖は、『お前は本当に生きているのか?』・・・と、

何度も何度も、強く問いかけてきた。

命綱が切れたら、待つのは「死」。

その極限の状況で、自らの力とチームワークで、

達成することの感動。

それを知れたことは、大きな収穫だった。

日常の中に当然あるにも関わらず、経験できていないこと、

それがあり、尚且つそれを欲するのならば、

自分から掴み取りに行けばいいだけのことだ。

『死』というものも同じ。それを、必然的行為の中で偶然的に掴む。

それは恐れであると同時に、

『生』に対する幸福感、感動の裏返しでもある。

『死生観』は自分で掴み取るんだ、という強い意志が必要だと思う。


政治を知ることも、必要だと思った。

だから、政治家に接触した。

秘書見習い。

政治の裏舞台は、それはドロドロしたものだった。

そこには、権力と見栄と、欲望が渦巻いていた。


そして、学生時代、もうひとつ「金融」を学んだ。

国際的な資金流動、過去の日本の栄枯の裏にあったもの。

それがすべて、作られた流れであると知ったとき、

なんともいえない感覚に襲われた。


その後、俺は就職した。

もちろん、「エコ☆自然環境」とは一見無縁の世界に。

だが、やはり「環境=経済」という図式は

間違いようのない真理だった。

環境を知るのに、環境から入る必要はない。

逆に、別の分野から入り、第三者的視点で

客観視したほうが、本質はより良くわかることもある。


これからも、一生何らかしらの関わりの中で、

きっと「環境」に触れていくことになると思う。


なぜなら、先進国社会は今後間違いなく、

自然回帰へと傾いていくからだ。

途上国を無視した、その潮流は、しばらくの間

加速度的に社会全体に浸透していくことになるだろう。


ただそれが、俺の本業になるのか、副業になるのか、

はたまた第三者的触れ合いとなるのか。


それはまだわからないけれど、

生きる本質は、これからも変わらないと思う。


流れ、流され、でも大事なところでは凛として動かない。

俺の『漂流記』はまだまだずっと続いていくんだ。


前向いて生きよう。

人生はパラダイスではなく、花園なのだと、自分に言い聞かせて。