自分の人生に参加する。
昨日読んだの雑誌の記事から一部抜粋します。
ある人がこんなことをおっしゃっていました。
・・・未知の世界へと足を踏み入れる怖さより、
このままでいいのかという不安を抱きながらも、
何ごとにも参加せずに見過ごしてしまう人生のほうが怖い。・・・
そう言う彼は、もともと働いていた飲食業界から、
全く違う某大手外資系生保に転職したうちの一人です。
それはまるでロールプレイングゲーム(RPG)のようだと書いてありました。
確かに、最近になってやっとドラクエⅤをクリアした一周遅れの俺も
なるほど・・・と思いました♪
RPGをやっていると、なかなかストーリーが前に進まなかったり、
探しているアイテムが見つからず、あっちに行ったりこっちに行ったりと
一見すると時間の無駄をしているような時があります。
それなのに、やっている本人は、意外に充実感があったり、楽しいなと
思えたりするんです。それはなぜなのか。
それはやっぱり、『参加している』からだと思います。ゲームの中であるとはいえ、
自分が主人公となり、多くのサブキャラと話をしたり、いろいろな場所を訪れることで
自分(主人公)の人生に参加している感覚を覚えるからだと思います。
一時的に結果がでなくても、そこから自分が演じている主人公が積極的に
人生に関わるために動きまくる。
その結果、自分は生きている、参加している、
自身を謳歌しているという充実感を得られるんですよね。
それがRPGの根強い人気の理由なわけですが、
それは現実の世界でも同じことだと思うんです。
今まで、周りの流れに流されることの多かった自分をちょっと振り返ってみて、
少しだけ多めに主体性を持ってみる。
もちろん最初の一歩はすごく怖いけど、でもこのまま何もしないで時が過ぎ、
後になって愚痴を言ったり後悔したりするような人間にはなりたくない。
そんな考え方に、俺はとても共感しました。
人生を生きていく上で、他者と関わっていくことが常なることであるならば、
人から影響を受け、流されてしまうことも必然なのかもしれません。
だから、俺は流されること自体は否定しようとは思いません。
俺自身も、いつも流されて生きていますし^^
それは今も、これからも変わらないと思います。
でも、それだけじゃ『自分の人生に参加した』ことにはならない。
じゃあどうするか。
それはやっぱり、流される以上に流すことだと思います。
言い換えれば、他者から影響を受ける以上に、他者に対して影響を与える人間になる。
これってすごく難しいことだけど、一生をかけて達成するに値する課題だと思います。
つまり、「人にどれだけ影響を与えられるか」ということと「自分の人生に参加する」ことは
一致はしないけれど、かなりの部分で近い存在であると、
少なくとも俺にとってはそうだろうと思っています。
先日、海外に留学している友人が正月に一時帰国した折に会ったのですが、
こんなことを言ってました。
『人は人を求める。「集団」というカタチにおいて、特に日本人はそうだね。でも、それは日本人の弱い部分でもあるけど、逆に強みでもあるんだよな。外に出て、改めて実感したよ。』
仏教文化に始まる『甘えの構造』。それはもちろん日本にもしっかり根付いています。
でも、その甘えの構造をプラスに働きかけ、弁証法的に昇華することができたら・・・。
きっと温かくて素敵な社会になるんじゃないでしょうか。
話が長くなりました^^;。
RPGにしても、現実の出来事にしても、結局は同じこと。
人が人を求め、甘えながら、自分を確立していくことが必然であるのなら、
甘えを否定することはない。
ただし、甘えることのみで人生を謳歌できるほど、人間は完成された生き物でもない。
ならば、甘える以上に甘えさせる、言い換えれば、
人に影響を与えられる以上に、影響を与えることのできる人間になるよう努力する。
そのためには、未知の領域に果敢に乗り込んでいく勇気が必要であり、
その中で、他者との関係を温かみを持って受け入れるべきだと。
そうすることが、結果的に『自分の人生に参加する』ことに繋がっていくのではないか、
と俺は思いました。
当たり前のことと言ってしまえば、確かに当たり前のことです。
でも、これが中々に難しい^^
だからこそ、俺は一生をかけてこの課題をクリアしていくつもりです。
俺の人生がRPGなら、当然俺が主人公ですから(笑)
もちろん、そのためには大切な仲間が必要なんですけどね!
仲間は、まさに自分の分身みたいなものです☆
怖くて怯えている俺に勇気をくれ、背中をポンッと押してくれるのは
いつも家族や仲間ですもん^^♪ 感謝と尊敬でいっぱいです☆
う~ん・・・
俺という人間は一体何人によってできているんでしょうか(笑)
数え切れないですね (*´∀`)ポェ~
ある人がこんなことをおっしゃっていました。
・・・未知の世界へと足を踏み入れる怖さより、
このままでいいのかという不安を抱きながらも、
何ごとにも参加せずに見過ごしてしまう人生のほうが怖い。・・・
そう言う彼は、もともと働いていた飲食業界から、
全く違う某大手外資系生保に転職したうちの一人です。
それはまるでロールプレイングゲーム(RPG)のようだと書いてありました。
確かに、最近になってやっとドラクエⅤをクリアした一周遅れの俺も
なるほど・・・と思いました♪
RPGをやっていると、なかなかストーリーが前に進まなかったり、
探しているアイテムが見つからず、あっちに行ったりこっちに行ったりと
一見すると時間の無駄をしているような時があります。
それなのに、やっている本人は、意外に充実感があったり、楽しいなと
思えたりするんです。それはなぜなのか。
それはやっぱり、『参加している』からだと思います。ゲームの中であるとはいえ、
自分が主人公となり、多くのサブキャラと話をしたり、いろいろな場所を訪れることで
自分(主人公)の人生に参加している感覚を覚えるからだと思います。
一時的に結果がでなくても、そこから自分が演じている主人公が積極的に
人生に関わるために動きまくる。
その結果、自分は生きている、参加している、
自身を謳歌しているという充実感を得られるんですよね。
それがRPGの根強い人気の理由なわけですが、
それは現実の世界でも同じことだと思うんです。
今まで、周りの流れに流されることの多かった自分をちょっと振り返ってみて、
少しだけ多めに主体性を持ってみる。
もちろん最初の一歩はすごく怖いけど、でもこのまま何もしないで時が過ぎ、
後になって愚痴を言ったり後悔したりするような人間にはなりたくない。
そんな考え方に、俺はとても共感しました。
人生を生きていく上で、他者と関わっていくことが常なることであるならば、
人から影響を受け、流されてしまうことも必然なのかもしれません。
だから、俺は流されること自体は否定しようとは思いません。
俺自身も、いつも流されて生きていますし^^
それは今も、これからも変わらないと思います。
でも、それだけじゃ『自分の人生に参加した』ことにはならない。
じゃあどうするか。
それはやっぱり、流される以上に流すことだと思います。
言い換えれば、他者から影響を受ける以上に、他者に対して影響を与える人間になる。
これってすごく難しいことだけど、一生をかけて達成するに値する課題だと思います。
つまり、「人にどれだけ影響を与えられるか」ということと「自分の人生に参加する」ことは
一致はしないけれど、かなりの部分で近い存在であると、
少なくとも俺にとってはそうだろうと思っています。
先日、海外に留学している友人が正月に一時帰国した折に会ったのですが、
こんなことを言ってました。
『人は人を求める。「集団」というカタチにおいて、特に日本人はそうだね。でも、それは日本人の弱い部分でもあるけど、逆に強みでもあるんだよな。外に出て、改めて実感したよ。』
仏教文化に始まる『甘えの構造』。それはもちろん日本にもしっかり根付いています。
でも、その甘えの構造をプラスに働きかけ、弁証法的に昇華することができたら・・・。
きっと温かくて素敵な社会になるんじゃないでしょうか。
話が長くなりました^^;。
RPGにしても、現実の出来事にしても、結局は同じこと。
人が人を求め、甘えながら、自分を確立していくことが必然であるのなら、
甘えを否定することはない。
ただし、甘えることのみで人生を謳歌できるほど、人間は完成された生き物でもない。
ならば、甘える以上に甘えさせる、言い換えれば、
人に影響を与えられる以上に、影響を与えることのできる人間になるよう努力する。
そのためには、未知の領域に果敢に乗り込んでいく勇気が必要であり、
その中で、他者との関係を温かみを持って受け入れるべきだと。
そうすることが、結果的に『自分の人生に参加する』ことに繋がっていくのではないか、
と俺は思いました。
当たり前のことと言ってしまえば、確かに当たり前のことです。
でも、これが中々に難しい^^
だからこそ、俺は一生をかけてこの課題をクリアしていくつもりです。
俺の人生がRPGなら、当然俺が主人公ですから(笑)
もちろん、そのためには大切な仲間が必要なんですけどね!
仲間は、まさに自分の分身みたいなものです☆
怖くて怯えている俺に勇気をくれ、背中をポンッと押してくれるのは
いつも家族や仲間ですもん^^♪ 感謝と尊敬でいっぱいです☆
う~ん・・・
俺という人間は一体何人によってできているんでしょうか(笑)
数え切れないですね (*´∀`)ポェ~